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この記事は、個人的な古い旅日記を加筆・修正し、アップしたものです。
文中に登場する交通機関や宿泊施設などは、現在では存在しない場合や、内容が大幅に変わっている場合がありますので、ご注意ください。
なお掲載している写真は、KENKO ケンコー フィルムスキャナー KFS-500 BK ブラックでネガフィルムをデジタル化し、一部修正して使用しています。
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【1998年 北陸の旅 その5】
富山ユースから直江津を経て、佐渡島・小木へと渡る。
1998年10月01日、朝9時、波の音に起こされる。
旅先でこんなに「朝寝坊」ということは、自覚症状の無い披露が蓄積している証拠。。。ただ、相部屋の同宿人も同じく「ゆっくり」と1日を始めると見えて、ダラダラ、ウダウダした空気が流れていた(笑)。
9時30分、別に急ぐわけでもなく、富山ユースを出発。9時40分発、富山ユースホステル前「始発」のバスに乗車。
静かな終着のバス停。乗客は旅人1人。
しかしこのバスは生活路線。途中のバス停で次々に乗客を拾い、たちまち立ち客まで出る。西町、総曲輪といったマチの中心部でどっと乗客を降ろし、10時25分、JR富山駅に至った。能登半島をグルッと回ってきたせいか、久々に大都会?の駅に着いたような錯覚。。。
駅舎の2階には、恐らくは全国屈指?と思われる居心地の良い待合室があった。ダダッ広いホールに、少なめのベンチ。しばらくここでボーッとしたい、とさえ思ってしまった。
富山駅11時12分発「はくたか7号」、12時24分直江津下車。
「速達車両」ではないものの、充分リニューアルされた車両。当然、この列車のベクトルは上越新幹線経由でTOKYOに向かっているのだが、「上京列車」のような雰囲気はあまり感じられなかった。
「鈍行慣れ」した身には、速過ぎる列車。
もちろん、普通の鈍行列車に比べたら快適な座席なのだが、シートの「座高」が高すぎて圧迫感が強い。前が見えない。。。
この日の立山連峰は、黒っぽくかすんでいた。
スーパー幕の内「加賀友禅」を購入。
幕の内弁当を1,100円で売りつけるとは、なかなかの度胸である(笑)。美しい箱を開けると、まあまあ、よくまとまったおかずが、白飯の周りを取り囲んでいるといった感じ。ただし、紙パックのお茶はなんともいだだけない。
「親不知」をすごい勢いで通過する。国道も高速道路も、海岸にへばり付くように取りつけられていた。
直江津にて。駅よりも立派なフェリーターミナル。
フェリーのりば行きのバスが行ってしまったため、JR直江津駅から直江津フェリーターミナルまで歩くことにした。
この区間はかつて、フェリーに乗るわけでもないのにダラダラと「散歩」したことがある区間。今回も、心地よい曇天の下、ダラダラと歩いているうちにフェリーターミナルに到着した。
佐渡汽船フェリーターミナル。
近代的な6階建てのビルだった。コンコース、改札、喫茶、売店、どれを見ても駅よりも立派なのがうれしい。駅よりも港の方が立派な場所=今治を思い出した。食堂のような喫茶店で、グレープジュースを飲み干す。
13時15分、ジェットフォイルの改札が始まった。先を急ぐ旅人を見送る、「旅人の自分」がここに居た。
そして、先を急がない「一般のフェリー」に一番乗りで乗船。
直江津13時40分発、佐渡汽船のフェリーで小木へ。
この日の船は、青函航路並みか、それよりやや大きめの船体といった印象。食堂、売店などはごくごく普通っぽい。
開放型の大広間2等室。
高齢の「ワッペン団体」が窓寄りのカーペットを占拠する。こちらはとくに景色を楽しむつもりも無かったので、中央の30畳はあろうかと思われる大部屋を1人で陣取ることにした。
すぐに船内放送が入る。船長の挨拶、船内の案内、気象情報、と飛行機のようなアナウンスが続く。
あと、2等船室では「宴会禁止」というルールがあった(笑)。
15時、この先の「食糧事情」を危惧し、船内で食い溜めの焼きそばを食す。ベタベタとした、お世辞にも美味しいとは言えない一品だったが、ここはレストランではなく「スナック」。値段が手ごろなので入りやすい。スナックの奥にはゲーセンがあり、ヤンキードライバー風の兄ちゃんが、レース系のゲームに興じていた。
15時35分、いきなりけたたましい音を立てながら、観光案内ビデオが暴れ出した。15時40分、佐渡島・小木フェリーターミナルに到着。
佐渡島への上陸は、意外にもこれが初めてである。
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昨今では、「ワッペン団体」と言うかどうか分かりませんが、佐渡島では旅行会社が主催するツアーが現在でも割と盛んです。
直江津から小木へフェリーで渡るコースは、関西方面からは結構スタンダード?なルートだったりします。
阪急交通社 佐渡ツアー
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初上陸の佐渡島・小木にて。行きあたりばったりで民宿に。
小木フェリーターミナルは、思いのほか巨大な建物だった。が、「ワッペン団体」が去ると、静寂の空間に。
建物内の案内所で本日の宿を聞いてみた。口調は丁寧だが、対応はそっけない。「島」と言えば、旗を持った客引きが待ち構えているもの、と思い込んでいただけに、少々期待はずれではあった。
民宿が2軒あるという海岸通りをダラダラと歩く。市街地の外れに近く、家並みがまばらになったあたりで、その宿はすぐに見つかった。
一旦宿に荷物を置き、買い出しに繰り出す。
小木の街は、静かながらも港を中心に割と高密度にまとまっていた。観光センターやバスの営業所などが、昭和の姿のまま残っている。穏やかに、ゆっくりと流れる潮風が、どこか南国の離島のようでもあった。
宿近くのスーパーに入ってみる。通路が広く、惣菜類が少ないのが都会のスーパーとの違いだろうか。ちなみにここで購入した惣菜類は割と薄味で、コテコテのしょっぱい料理を想像していただけに、個人的にはラッキーだった。
行きあたりばったりで大当たり?の宿「民宿さかや」。
この日の行きあたりばったりの宿「民宿さかや」は、リフォームしたばかりなのか新築なのかは不明だが、新しくて綺麗な建物だった。そしてこの宿もなぜか、廊下が広い。。。
勿論、眼の前は日本海。宿に接する道路も交通量は少なく、理想的な静けさである。
通された部屋も、勿論「眺海」の部屋。これで3日続けで波音を枕に寝ることになる。部屋の広さは9畳。1人で寝るには充分過ぎる広さだ。天井も高く、窓も大きい。飛び込みで入った宿の中では、間違いなく「大当たり」の部類に入る。
ちなみに、客室のテレビはタダで、クーラーは有料。コイン式のクーラーというものを初めて見た。
18時30分、窓からは直江津から到着するフェリーが眼前に。
畳間からこんなダイナミックな景色を望めるのも、この宿のおかげ。
館内には洗濯機と乾燥機があった。しかも、コインを入れてもいないのに、勝手に作動してくれた。乾いていなかった下着も、これでどうにかなりそうだ。。。
21時30分、雷が鳴る。
明日は1日中「歩き」の予定なので、暴れるなら今宵のうちにジャンジャン暴れて降り切ってもらいたい。。。
紹 介 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「民宿さかや」は2013年5月現在、元気に営業している模様。ただし、佐渡島の民宿は殆どの場合、宿泊予約サイトなどでは予約できません。佐渡島の民宿ポータルサイトからは予約できるみたいです。
佐渡の民宿総合案内所
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この記事は、個人的な古い旅日記を加筆・修正し、アップしたものです。
文中に登場する交通機関や宿泊施設などは、現在では存在しない場合や、内容が大幅に変わっている場合がありますので、ご注意ください。
なお掲載している写真は、KENKO ケンコー フィルムスキャナー KFS-500 BK ブラックでネガフィルムをデジタル化し、一部修正して使用しています。
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【1998年 北陸の旅 その4】
能登漁火ユースから富山ユースへ。ローカル線と路線バスを乗り継ぐ。
1998年09月30日、朝から「縄文真脇温泉」に浸かる。
能登漁火ユースホステルから歩くこと約30分、11時前に日帰り温泉施設「縄文真脇温泉」に到着。
やや「造られ過ぎ」といった感じがしないでもないが、木の香が漂う東屋風の建物が配棟された温泉施設は、充分に堕落できる?環境だった。とくに山小屋風の一軒家感覚のサウナは、隠れ家感たっぷり。。。
そして、日帰り入浴施設の必須アイテム「休憩所」へと向かう。畳間のスペースは、既に地元のご老人たちで賑わっていた。
思いのほか混みはじめてきたので、そそくさとこの場を離れることにする。
縄文真脇駅へと続く田園の道を、だらだらと下った。
駅に着くとすぐに、御座敷団体列車(1両!)が到着する。ドヤドヤと送迎バス1台分の団体客が降りてきた。彼らはすぐに、送迎バスに乗って縄文真脇温泉へと向かって行った。
そして再び静寂。
土手状のホームには、ポツンと待合室が建っている。これとは別に、とんでもなくダダッ広いログハウス風の新しめの駅舎が建っていた(無人駅だが)。
STB(駅寝)の血が騒ぐ。
とにかく無意味にダダッ広い。STBなら50人は泊まれる。トイレは別棟なので、悪臭とも無縁。。。
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残念ながら、のと鉄道の区間廃止により、縄文真脇駅は過去のものとなってしまいましたが、日帰り温泉施設「縄文真脇温泉」は元気に営業しています。
さらに現在では、日帰り温泉施設に加え、宿泊施設「真脇ポーレポーレ」もオープンしました。竪穴式住居をイメージした斬新な建物は、自然と溶け合い、縄文の息吹を感じさせてくれます。
真脇ポーレポーレ
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縄文真脇13時25分発、15時12分七尾下車。
少々意外だが、この旅で初めて平日の日中の「ガラ空きの列車」に遭遇した。
あらためて、平日の日中に「旅人」になることの「価値の重さ」をひしひしと感じる。名も知らぬ漁村を、各駅停車の列車がひた走る。
13時50分、小雨が降り始めた。
温泉でほてりっ放しの体に、涼風。車内にいても、外気が感じ取れたような気がした。
14時23分、穴水到着。
昨日までは災害で運休していた穴水〜輪島間の運転が再開されていた。なんとタイミングの悪いこと。。。
七尾から氷見まで、県境の路線バスを乗り継ぐ。
七尾駅前15時35分発、脇行き路線バスに乗車。
車内は既に、下校する高校生などで埋まっていた。さっきまでののと鉄道での静寂が一転。。。
そしてバスは、富山湾に沿うようにひた走る。半島の突堤に比べ、このあたりまで来ると海岸線が滑らかに見えた。
「新脇」バス停に到着。富山県に突入した。気が付くと、乗客は1人。。。
16時18分、終点「脇」に到着した。
海に突き出した待合室。「県境」が造り出した、人為的な終着のバス停。
ここから南は、富山県側の加越能バスの縄張りとなる。潮風の前に、赤茶けたバス停のポールが2つ立っていた。
脇16時30分発、氷見行きのバスに乗車。
半島の付け根に近付くに従い、空はグレーワールドに変わっていった。途中、2ヶ所の温泉街を通るが、路線バスとはほぼ無縁のようで、車内は終始貸し切り状態。。。
氷見市街に突入した。
どこにでもある、くすんだ地方都市を想像していただけに、恐ろしく長いアーケードに驚かされる。もちろん、人っ子ひとりいない、わびしげなアーケードではあるが、とにかくべらぼうにアーケードが長い。
16時50分、氷見中央バス停で下車。
その名のとおり、マチの中心にあるバス停だった。このバスは氷見駅前には入らないため、ここで下車し、更に延々と続くアーケードの下を早足で15分ほど歩き、ようやく氷見駅にたどり着いた。
氷見から富山へ。「地元の日常」に紛れ込む。
17時24分、氷見線の終点・氷見駅より氷見線に乗車。「下り」列車なのだが、高校生の下校タイムにぶち当たった。「地元の日常」に紛れ込む。
17時49分、終点・高岡駅到着。
ここで北陸本線に乗り換え。高岡発17時59分の富山行きに乗車した。ここまで来ると、既に能登の「さいはて」ではなく、中小都市が連なる「平野」の太い線路だ。
ここでもまた、「地元の日常」に紛れ込む。
18時18分、富山駅到着。
ここで富山ユースホステルに電話し、飛び込み予約を取る。この時間だとさすがに素泊まりとなるので、駅のコンビニで食料を買い込んだ。
18時50分、ユースホステル前行きのバスに乗車。
一般の路線バスで、ずばり「ユースホステル前行き」なんて路線があるのは珍しい。本数も予想外に多く、夜もそれほど「早じまい」ではないことには驚いた。終点はたまたまユースホステル前となっているが、富山市中心部と郊外を結ぶ、普通の路線バスらしい。
ここでも「地元の日常」に潜入し、19時30分、終点のユースホステル前に到着した。
典型的な公営ユースホステル「富山ユースホステル」。
合宿所のような、いかにも公営ユースホステルといった感じの建物だった。
紙風船と富山自慢の「水道水」の缶が進呈される。公営ユースながらも、ペアレント氏は旅の演出に熱心らしい。
なんと、オフシーズンの平日にもかかわらず、10名の「先客」が居た。年齢層はかなり高い。
駐車場に「人形劇団」のワゴンがあったので、一瞬ギクッとしたが、昨日の能登漁火ユースとは別の人形劇団らしい。
その他は、正体不明の外国人、中年トレッカー、自分と同じ世代と思しき旅人。。。
それぞれ自分の旅を楽しむため「勝手きままに」ユースホステルを利用しているといった感じだった。
まあ、これももまた、ユースホステルらしいと言えばユースホステルらしい空気なのだが。。。
それにしても、オフシーズンの平日であっても、旅人というものは、居るところには居るものである。かつて何度となく「1人ユース」を経験しているだけに、何か頼もしいような、歯がゆいような、不思議な旅の途中。
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残念ながら、富山ユースホステルは2001年3月末で閉館しました。建物も解体されているようです。
富山市では相部屋のユースホステルは無くなってしまいましたが、市内で「安宿」をお探しの方は、下記をご参考に。
富山市で1泊3,000円以下の宿
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文中に登場する交通機関や宿泊施設などは、現在では存在しない場合や、内容が大幅に変わっている場合がありますので、ご注意ください。
なお掲載している写真は、KENKO ケンコー フィルムスキャナー KFS-500 BK ブラックでネガフィルムをデジタル化し、一部修正して使用しています。
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【1998年 北陸の旅 その3】
さいはてのバス停・木の浦から、のと鉄道の終点・蛸島へ。能登漁火ユースに宿泊。
1998年09月29日、木の浦16時55分発珠洲行き。
さいはてのバス停・木の浦からは、北鉄バスからJRバスへと路線バスの管轄が変わる。
夕闇が迫り、青みがかった空の下、たったひとりの乗客を乗せたバスは、集落を縫い、浜辺をかすめ、ひた走る。17時40分、途中の蛸島駅前で下車。
終始、乗客はひとり。。。
雨がかなり強くなってきた。天然のシャワーを浴びる駅舎。
待合室内には、どう見ても雨宿りとしか思えない地元ライダーが2名。切符販売の窓口はあるが、既に既に営業を休止して久しいように見える。
薄暗い待合室で、今日何度目かの「静寂」を得たり。
18時頃になると、雨は勢いが弱まった。雨宿りと思しきライダー2名は、そそくさと走り去って行った。
この駅は、待合室とホームが少々離れている。ホームは土手状に一段高くなっており、ホームにも屋根付きの待合室があった。
行き止まりの終着駅で、ひとりまどろむ。なんという贅沢な時間!
蛸島18時30分発、19時06分九十九湾小木下車。
さいはての駅に、折り返しの1両編成のディーゼルカーが到着した。
ロングシートとボックスシートが混ざった、ワンマン車両。いかにも第三セクターといった感じの味気なさはあるものの、暗い夜道の行き止まりに辿りついたかのような彷徨感は充分に感じられた。
この「瞬間」を買うために、わざわざここまで来たのだった。。。
18時30分、さいはての無人駅を、たったひとりの乗客を乗せたディーゼルカーが出発。途中、珠洲で高校生がどっと乗り込んできた。車内はさきほどまでの「静寂」がウソのような賑わいに。。
19時06分、今日の宿の最寄り駅・九十九湾小木で下車。
周囲はすっかり暗闇に。列車の到着時刻を事前に伝えていたため、ユースのペアレント夫人が四輪駆動の迎えに来てくれていた。
ガイドブックにはユースまでは徒歩20分とあったのだが、いざ「送迎車」に乗ってみると、この夜道で20分は少々きつい気がする。。。
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のと鉄道は2001年に穴水〜輪島間、2005年には穴水〜蛸島間が廃止となり、上記に登場した蛸島駅も過去のものとなっています。
現在では、近代遺産巡り?のひとつとして人気の「廃線跡めぐり」を楽しむ、という手もありますが、のと鉄道の廃駅については、makoさんが下記のほぼパーフェクトなサイトを立ち上げています。見ているだけで、廃線跡めぐりができてしまいます(笑)。
のと鉄道廃線跡めぐり
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人気の能登漁火ユースホステルにて。
前評どおり、漁港に面したこぎれいな建物である。大阪ナンバーのバイクも置いてあり、泊まり客が1人でないことを確認する。
予告どおり、やや遅めにチェックインしたため、他の泊まり客全員が夕食を食べ終わる頃に食事につく。衆人環視状態の中?1人で海の幸を食す。
この時期の平日にしては泊まり客が多く、人気ユースであることを実感。
これまた前評どおり、結構年の離れたペアレント夫婦は、奇妙な感じの「よい人」だった。
本日の相部屋のお客は、大阪ナンバーのライダーほか数人。休暇中のサラリーマンも居れば、人形劇の旅芸人?みたいな人もいた。
ユースホステルらしく、見知らぬ者どおし、他愛の無い旅話がえんえんと続く。
ここに何も無いことは、最初から分かっていた。ゆえに、旅に出るのかも知れない。旅は旅でしかない。
入り江の宿。波の音だけがエンドレスに響く。
1998年09月30日、小さな漁港の宿で朝を迎える。
7時30分、朝食。
昨日この宿に到着したときは「暗闇」だったため気が付かなかったが、宿の眼の前は見事に湾。視覚効果なのか、波の音がさらに大きく聞こえる。
そして、畳の部屋で堕落。
まさに待ち望んでいたシチュエーションなのだが、相部屋の同宿人が機関銃のようにしゃべり続けるので、ゆっくりまどろめなかった(笑)。
旅先の宿では珍しく、10時過ぎまでウダウダする。相部屋のユースホステルを選択しておきながら、自分勝手な話だが、1人になりたかった。
10時18分、能登漁火ユースホステルを出発。
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能登漁火ユースホステルは、2013年5月現在、元気に営業している模様。ユースホステル会員でなくても、一般の民宿のように泊まれます。
下記の楽天トラベルにも登録されているようですが、予約できないことが多いみたいです。
能登漁火ユースホステル
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