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この記事は、個人的な古い旅日記を加筆・修正し、アップしたものです。
文中に登場する交通機関や宿泊施設などは、現在では存在しない場合や、内容が大幅に変わっている場合がありますので、ご注意ください。
なお掲載している写真は、
KENKO ケンコー フィルムスキャナー KFS-500 BK ブラックでネガフィルムをデジタル化し、一部修正して使用しています。

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【1998年 北陸の旅 その2】
七尾、輪島、曽々木口、木の浦、鉄道とバスで能登半島さいはてを目指す。。。

1998年09月29日、金沢7時13分発七尾行き。

通勤ラッシュとは「逆方向」かと思いきや、思いのほか混んでいた。車内ですぐに弁当を食す。
金沢を定刻に出発した列車は、津幡より七尾線に入る。これより先、能登半島に入るのは初めて。またひとつ、「未踏破」の場所を消し込んでいく。
途中、宇野木で金沢方面へ向かう通勤電車とすれ違う。向こうはなんと、特急用車両(なんだか、ちょっと損した気分)。。。
8時35分、七尾駅到着。
これまでにも何度となく、「初めての街」に降り立ってきたが、降りたことの無い街の駅前に立つたびに、またひとつ、何かを獲得したかのような踏破感を覚える。
駅前には、ありがちな再開発ビルらしき建物が構えていた。駅の待合室も、日本の他の「匿名の地方都市」と何ら変わりは無い。ここが能登半島であることすら忘れてしまう。


七尾9時18分発、急行能登路1号、輪島行き。
本来ならば、終点の輪島まで直行する急行列車なのだが、土砂災害の影響で、この日までは途中の穴水〜輪島間が代行バスとなる。
車内には、ワインレッドの「伝統的」な急行仕様のボックスシートが並ぶ。そこには、わずかな老人観光客のためだけに用意された「至高の空間」が広がっていた。
9時56分、穴水で代替バスに乗り換え。2両編成の列車の乗客を1台のバスに押し込んだ結果、何とも言えない「災いの一体感」で車内が包まれた。
10時26分、急行能登路1号で到着するはずだった「終着駅」輪島に、バスで到着。


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のと鉄道は2001年に穴水〜輪島間、2005年には穴水〜蛸島間が廃止となり、写真の輪島駅も過去のものとなっています。
一方、能登半島中部では2003年に能登空港が開港、羽田との間で1日2往復が運航されています。空港からは輪島、珠洲、曽々木口方面へは路線バスもあり、スケジュールをうまく組み立てれば、案外便利かも知れません。

羽田発 能登行 国内格安航空券
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お目当ては、輪島名物「朝市」よりも、市立中央図書館?
月並みではあるが、到着後はまず、輪島名物の朝市へ向かった。平日ながらも、関東・関西方面からと思しき観光バスから吐き出された?観光客でひしめいている。
昨今は、人口5〜6万人規模の地方都市で「賑わい」を見ることは難しい。
本来、「都市」とは。人が集い、商い、語らう場所であったはず。「個」を求め過ぎるあまり、街の原点が崩れ始めているこの国では、素朴な「市場」こそが「都市」なのではないか。
朝市の賑やかな通りを抜け、静寂の街区へと入った。
お目当ての「市立中央図書館」は、駅裏手のシティーホール内にあった。郷土資料室に通される。だだっ広い倉庫のような部屋からは「駅の裏側」が見える。災害で今日は一日動かない予定の列車が、ホームで出番を待っていた。
輪島に限ったことではないが、個人的には、図書館の「郷土資料室」は、かなり質の高い「観光施設」だと思う。
昼食を取ろうと想い、輪島駅前の喫茶「蘭豆」でテリヤキランチを注文。コーヒー付きとは言え、900円とはちと高いと思ったのだが、テリヤキ本体は勿論、ボリュームのあるポテトサラダ、薄味の味噌汁、梅干しの付いたどんぶりめし、よく分からないがなかないける漬け物のセット・・・で納得した。

輪島からバスで曽々木口へ。願っていた「静寂」を得たり。
14時、輪島駅正面の北鉄バスターミナルの待合室に入る。輪島駅の待合室よりもだだっ広い待合室には、地元の老人が数人のみ。バスの出発まではかなりの時間があるのだが、早々にベンチに陣取っている。静寂を得たり。
14時45分、曽々木口行きのバスに乗車。
車内は地元の老人で埋まる。乗客を拾っては降ろし、拾っては降ろしを繰り返しているうちに、車窓に日本海が出現。
集落には、伝統的な木造・瓦屋根の家が並ぶ。ハウスメーカーによる「既製品」の住宅が日本の隅々まで普及しつつある昨今では、これもまた「能登らしい」風景か。
15時18分、曽々木口到着。
地図上では読めなかったが、ここにはバスの「詰め所」がある。窓口は無いが、しっかりとした待合室があり、見た目には立派な「バスターミナル」だ。
近くに高校があるらしく、薄暗い待合室は高校生で溢れていた。15時33分、輪島行きのバスがこの賑やかな集団を連れ去ると、待合室に残されたのは、自分と老人が1人。再び、願っていた「静寂」を得た。


能登半島のさいはて?路線バスの分水嶺・木の浦。
15時45分、能登半島のさいはてに近い、木の浦行のバスに乗車。
浜の集落と集落を結ぶバスは、徐々に「細道」へと入っていく。高屋新保で、乗客は自分1人だけになった。
ここから先はS字カーブを登りながら、景勝地を「見せる」道となる。人の流れというか、生活圏というか、人為的な「地域」は一旦ここで途切れている印象を受ける。
16時28分、木の浦到着。ログハウス風の待合室があった。
「国民宿舎木の浦海岸0.6km」など、観光地らしい看板が踊っているが、今乗ってきたバスが曽々木口方面へ折り返すと、人っ子ひとりいなくなる。
車もまばらにしか通過しないせいか、しとしとと降り続ける雨の音だけが、「旅の途中」であることを感じさせてくれた。

さいはての終着のバス停で、「静寂」をたしなむ。


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残念ながら、このさいはてのバス停から0.6kmにあった「国民宿舎木の浦海岸」は2010年に閉館しました。
ただ、「能登半島さいはての宿」という点では、木の浦からさらに奥能登観光バスに乗り継ぎ、10分ほど先の「狼煙」にある
禄光旅館あたりがお勧めです。バスの本数は非常に少ないのでご注意を。

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